◆ はじめに

新井サンポは、10月2日に四日市にある子どもの本専門店「メリーゴーランド」で開催された講演会で、講演本格デビューを果たしました。当日は多くの方にお集まりいただきました。ここで改めてお越し頂いた方にお礼を申し上げます。
実は新井サンポ、ここまで本格的な講演会で話すのは初めてとあって、かなり上がっていたようです。
しかし、お聞きいただいた方からは、「チベットのことがよくわかった」「チベット仏教のお経を聞くことができて、貴重な体験だった」などの感想が聞かれ、なかなか好評だったようです。
そこで今回 Reportでは、「チベットのココロ」と題して行った講演内容をお伝えしたいと思います。
◆ 第一話(1)
僧侶としての生活
皆さん、こんにちは。私は新井サンポと申します。今回「チベットのココロ」と題して少しお話をさせて頂きます。どうぞよろしくお願いします。
先ず、私の自己紹介をさせていただきます。私の名前の新井サンポというのは、師である、チベット仏教ニンマ派のケツンサンポ・リンポチェから頂いた僧侶としての名前です。
チベット語には苗字が無いので、新井サンポはこれでひとつの名前です。新井は日本の苗字そのままで、サンポというのはケツンサンポ・リンポチェのサンポからとってつけてもらいました。
ですから私はれっきとした日本人で、神奈川県川崎市出身です。チベット人ではありません。
チベット仏教はチベットの外で学ぶ
チベットは世界の屋根と言われる、標高が高いところであります。そして美しい空が印象的なところでもあります。 そのような高いところですから日本に住む私たちには、空気が薄いと症状がでる高山病にかかりやすくなります。それはとても辛いものであります。頭が痛くなったり、吐き気等もします。ひどくなると死にいたる怖いものです。これが、チベットの土地が“秘境”と言われる由縁かもしれません。
さて、現在チベットは国ではありません。中国領の一部です。チベットは独立した国家だったのですが、1959年中国からの侵略にあい、現在はチベット自治区として中国の一部になっているのです。したがってチベットはチベット自治区と青海省、四川省などの一部をいいます。
現在チベット本土は中国の共産党の政権下にあり自由な宗教活動ができません。1959年の動乱の時から中国はチベットを自らの土地と言い出し、チベットの文化や文明をことごとく破壊したのでした。そのときから現在に至るまでチベットという独立した国はなくなり、多くのチベット人がインドやネパール諸外国に亡命しました。それから今まで侵略にまつわり、本当に沢山の人が亡くなりました。チベット人にとって本当に悲しい歴史であります。
私はそのような歴史の爪あとに直接触れたことはありませんが、ネパールで毎年3月10日にチベット人の住むところで行われる「3・11ラサ決起集会」の時には、髪を振り乱し錯乱したかのように怒り狂うチベット人の行列を目にすることがありました。また、ボダナートというチベット人が多く住むところでは、毎年この日に「Free Tibet」を掲げて、チベット開放を訴え力強く行進してます。
そのような背景があり、現在でも伝統的なチベット仏教をチベット本土で学ぶことは難しくなっています。こと有名で名高い「ラマ」と呼ばれる先生達はインド・ネパールを中心に亡命してしまっているので、チベット仏教を学ぶのは、チベット本土以外の国になります。
師の教えを尊ぶチベット仏教
チベット仏教は昔の日本では「ラマ教」等と呼ばれ、仏教とは異端なものとして捉えられていました。しかしチベット仏教は、間違えなくお釈迦様からの伝来した純粋な仏教であります。日本に伝わっている大乗仏 教といわれる仏教と同じです。 チベットに初めて仏教が伝わったのは5世紀とも言われますが、確実なのは7世紀前半ソンゼンガンポという王様の時代になります。チベットは、インドに近いので沢山のインド人僧侶が直接お経を持ってきてそれをチベットに翻訳したり、チベット人自らが留学に出て、仏教を吸収してきました。日本の仏教がインド仏教中期のものだとしたら、チベット仏教は後期のものになります。
現在、チベット仏教は大きく分けて4つに分かれます。ダライ・ラマが所属するゲルク派の他に、サキャ派、カギュ派、ニンマ派です。私が所属しているのはニンマ派といって、一番古い派になります。特徴はゾクチェンというものがあることです。 チベット仏教は、古くから沢山の瞑想法と沢山の経典が伝わっています。 以前ラマ教と呼ばれたのには意味があります。我々チベット仏教を学ぶものはお釈迦様の教えを大事にします。その文献も大事にします。そういった教えを体と心で体現し、自らを導くと言う意味で師を大事にするのです。そういったところでラマ(師)の教えと呼ばれたと、言われています。
私の師であるケツンサンポ・リンポチェは、幼少の頃から僧侶としてチベット仏教を学び学問と修行を何年もしました。現在、ケツンサンポ・リンポチェはネパールのカトマンドゥに住んでいるのですが、1959年のチベット動乱のときにチベットからインドに亡命しました。中国軍がチベットに進行してきたときに命からがら逃げてきて、インドに滞在されたのです。
その後は、チベット政府の要請で日本の東洋文庫というチベットの文献を研究する機関にも研究員として10年滞在された経験をお持ちです。いわばチベット仏教の修行者でもあり学者でもあります。その後インドのチベット亡命政府のあるダラム・サラで、チベット政府図書館の図書館長をし、その後チベット仏教ニンマ派の伝統的な学問を伝える、ラマカレッジというお寺を設立しました。 現在もネパールでそのお寺を運営し、リンポチェは元気に過ごされています。


