◆ 第一話(2)
僧の日常生活にも根づく仏教的無常
そこで、僧侶の生活のことを少し話します。一日のスケジュールを追ってお話します。
先ず朝5時に起床です。お寺中に小さい金属のベルがカンカンカンと鳴り響きます。直に洗顔、うがい等をして早朝の「カンドゥン」といわれるお経読みが始まります。それから1時間復習をしたりします。午前6時には朝のお勤めが始まります。約1時間のお勤めが終わると直ぐに、朝食です。
朝食は「ティモ」と呼ばれる中国のアンなしのお饅頭です。これを二つとチベットティーを飲みます。皆さんの中にチベットティーを飲まれたことのある方はいらっしゃいますか? タン茶という発酵して固めたお茶をお湯でぐつぐつ煮出して、それをドンモと言われる攪拌機に入れバターと塩と一緒に力いっぱい掻き回します。ドンモはこのくらいの大きさで筒状になっておりそこにところてんの押し機のようなもので、こうやって突いてお茶を攪拌します。最近の家庭ではミキサーでパーッと作ってしまうこともありますが、お寺では相当量作らなくてはいけないので、今もドンモで作っています。
その質素な食事が済んだら、身支度を整えて、8時頃から授業が始まります。約2時間位です。チベットのお寺の授業は、本当に長くて退屈です。ずっと先生が話すことをただただ黙って聞いています。質疑応答はありません。長いときは3時間から4時間も授業が続きます。大概は2時間以内に終わりますが、その間は本当に長く感じられました。授業風景で面白いのは、日本人は授業中や人の話を聞くときは目や顔を見て聞きますが、彼らは下を向いたり目をつぶっていたりと、さまざまであることです。そんなところにもチベット人の大らかさが出ているように思います。
私がチベットでよく言い合いになることがありました。例えば日本人は先のことを考えて行動し計画します。しかしチベット人から見るとそれはまるで妄想じみていて、直ぐに「そんな先のこと・・・」「もしそうなるにしろ、問題が出てから考えれば良い」と仏教的無常を言い出します。無常とは常が無いと書きます。ですから未来を想定して行動する日本人の感覚とは違います。大らかというかというべきなのでしょうか。だからチベット人はあまり悩んでいる人をみたことがありません。日本が物質的に豊かになっていても、自殺する人が多いことが本当に理解できない様子です。
僧侶にとって過酷な食生活
話を戻しますと、授業が終わるとお経を理解する自習の時間です。一室2名の4畳半位の部屋でベッドの上にあぐらをかいて座ります。胡坐はチベットでは正座に近い正しい座り方です。日本では楽な姿勢のようにおもわれるでしょうが、一日10時間以上胡坐をかくと思えばそんなに楽な姿勢ではありません。そうしてお昼まで自習をします。
昼食は12時で、私が修行していたネパールの寺院の昼食は、ご飯とカレー風味の野菜炒め、ダルといわれる豆スープです。野菜炒めといいましても単品の野菜を只炒めてカレー風味にしただけで、大変質素なものでした。日本でいう一汁一菜なんて、ちゃんと体に良さそうですが、あちらで食べている食事は本当にくず米と野菜だけ。味付けは塩と味の素だけで、私にとっても他の僧侶達にとっても過酷な状況だったと思います。育ち盛りの彼らにとって栄養的に不足し、総カロリー量も少ない食生活は大変でした。それは現在でも変わりません。
私は今こんなに大きな体をしていますが、あちらに一年いるとしっかり10キロは痩せます。そして一年ぶりに日本に帰って一気に元に戻ります。これを何度も繰り返してしまってリバウンドに次ぐリバウンドでこんなになってしまいました。
昼食が終わると昼からは、再びお経を見ながらの自習です。本当にお経とにらめっこという感じです。3時のお茶は再びバターティーを飲み、それからツーバといわれる問答が行われます。「チーチル」「ドゥー」喧嘩のような勢いでお寺の庭に散らばり問答をします。この問答は、学んだお経や勉強が一つの疑問もないように、疑問を払拭するために行われます。それが終わると5時から夜のお勤めです。 それが終わって夕食が7時から「トゥクパ」というチベット風のうどんが出されます。これは少量の野菜に平べったいすいとんを混ぜたようなものです。
お寺での食事はこの朝、昼、晩のメニューが一年間365日繰り返されます。食事は結構辛いものがあります。 それから夜の自習をして夜10時に就寝となります。 大体これがお寺の一日です。お寺に法要が入るとその日は一日中儀礼が行われます。
真面目に勉強に励む僧侶たち
皆さんが想像するチベットのお寺とはどうでしょうか?お寺の種類も幾つかあって、勉強をするためのお寺と儀礼や法要をするお寺、両方をする複合寺とあります。そのお寺によってお坊さんの生活も大きく違います。私がいたお寺はシェダといわれる勉強をするお寺だったので、このような時間を使いますが、タツァンと呼ばれる法要をするお寺では一年中何かしらの法要をいつもしています。ですからそこにいるお坊さんは仏教の勉強よりむしろ祭祀儀礼を学びます。
私は2年目で僧侶になりました。師匠には「お坊さんになりたいのですが・・・」と切り出したら師は「髪の毛を切るんですよ~」と何だか冗談めかして許してくださいました。そこから私はお寺に住み自分の修行を進めることができるようになりました。
私が学んできたネパールのお寺にはチベット人、チベット系ネパール人、チベット系インド人がいました。彼らは皆チベット語を話しお寺では勉強に励みます。それぞれの個性があるのですが、どの僧侶も比較的に真面目に勉強して粗末な食事や状況にもあまり文句は言っていませんでした。


